次女が生まれて、家に戻ってきてから1週間が経ちました。
生活はガラッと変わり、寝不足も当たり前。気づけばもう夜…そんな毎日を繰り返しています。でも、この1週間を振り返ってみて、一番強く感じたのは——
「思ったよりも気持ちが動かなかった」ということでした。
正直に言います。
長女が生まれたときの、あのこみ上げるような感動。産声を聞いた瞬間に涙があふれて、「ありがとう」と自然に思えたあの気持ちが、今回は湧いてこなかったんです。
もちろん、次女が無事に生まれてくれたことは本当に嬉しい。出産を頑張ってくれた奥さんには、心から感謝しています。でもそれでも、「よかった」という安堵の気持ちが大きすぎて、それ以上の感情がついてこない。そんな自分がいます。
次女に罪はない。むしろ小さな体で一生懸命泣いて、ミルクを飲んで、眠って——そんな姿を見ると、「この子を守らなきゃ」という責任感はあります。
でも、「かわいい」と心から思えていない自分が、どこかにいるんです。
頭では「自分の子どもだ」と分かってるのに、感情が追いつかない。今の僕の中では、どうしても「長女>次女」という思いがあるのが正直なところです。
長女は今1歳半。ママの入院中、僕とふたりきりで過ごした数日間で、グッと成長したように感じます。言葉もどんどん増えて、おしゃべりも上手になって、「パパ〜」と甘えてくる姿がとにかく愛おしい。
だからつい、長女には自然と抱っこしてしまう。でも、次女が泣いていても「ママが見てくれるかな」と無意識に奥さんに任せてしまっていて、気がつけば、抱っこの回数も全然違う。
そのたびに、心のどこかに小さな罪悪感が積もっていくんです。
もしかすると、奥さんはこの違いに気づいているかもしれない。そう思うと、ますます申し訳なく感じてしまって。でも、どうすればいいか分からなくて、目の前のことで手一杯になってしまう。
——なぜこんなにも気持ちが動かなかったのか。
思い返してみると、出産前の僕が一番強く願っていたのは「とにかく奥さんが無事に出産を終えること」でした。命がけの出産。何よりもまず、母体が無事であることが第一。
その思いが強すぎたのかもしれません。
出産が終わった瞬間、感動というよりも“ほっとした”という気持ちの方が大きかった。そのせいで、感情のスイッチが押されないまま、時間だけが過ぎてしまったような感覚があるんです。
でも、今こうして言葉にしてみて、思ったんです。
これは「愛情がない」のではなく、「まだ始まっていないだけ」なんじゃないかって。
長女のときも、思い返せば最初から完璧に愛せていたわけじゃなかった。夜泣きでヘトヘトになったり、うまくいかなくて落ち込んだりしながら、少しずつ距離を縮めていった。
だから、次女ともきっとこれからなんだと思います。
抱っこの回数も、目を見て声をかける時間も、少しずつ増やしていけばいい。今はまだ“向き合う準備期間”なんだと思うようにしています。
完璧な父親じゃなくていい。焦らなくていい。
愛情って、最初から満タンじゃなくていい。少しずつ、積み重ねていけばいいものなんだと思います。
そして、こんな気持ちに気づけたこと。こうして文章にしてみたこと。それ自体が、父親としての第一歩なのかもしれません。
今日も、明日も、できることをひとつずつ。家族と一緒に向き合っていこうと思います。